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金曜日, 11月 02, 2007

ハードとソフトの境界点の話のつもりが…

ドライバはハードやソフト屋、どっちが作るかという事を一晩考えた結果、ハード屋さんにしてみれば「ソフトなんてあんなうすぼんやりとしてはっきりしないものを作ったられるか」という事になってくるだろう。これは多分に彼のソフトウエアスキルの低さに起因するのだけど、それが悪いって言っちゃソフト制作の側にも「ハードなんてあんな融通の効かないもの、タッチできるか」なんて言葉が返ってきそうだからお互い様だろう。

なのでドライバソフトはソフト側が作るものになってくる。でも、作る人はある程度ハードウエアスキルを持った人、しかもドライバソフトの書ける人になるからそこいら辺からプロファイリングしていくとソフトはエキスパート、勢いあまってハードの事も知っている、シニアプログラマかシステムエンジニア、ある程度偉い人という事になってしまう。これは日本の得意としてきた縦割りの考え方には反するものだろう。そうだけれどペーペーのプログラマにハードの事やれといってもわからないだろうし、いやだろう。いやな事は嫌いになるだろう。だとすればやっぱり熟練者、という事になってしまうのでは?人間額に汗。えらくなったからって楽できると思ったら大間違い。常に努力が必要なのだと思う。ドライバなんてものの書けるえらい人。いいじゃないか。

さて、偉い人といってもその年齢を下げる努力も進めなくちゃならない。その為にはハード側とソフト側の意思疎通が必要。その為には最初は偉い人同士でいいから何らかの意思疎通、話し合える場を作らなければならない。で、その場には常に次の世代、その次の世代、あるいはそういうことに興味を持っているものを立ち合わせねばならない。そうする事によって共通認識を持てるようにしなければならない。あるいはお互い意思疎通のできる共通言語を作らなければならない、のだろう。

今まではこれを会話スキルと高い教育に頼ってきた。ある事業所に場所を集中する事によって成立させてきた。話し合いの場を持つ事によって成立させてきた。さて、これからはどうなるのだろう?この分野の需要がますます高まる中、おちおち会議なんてしていられない。そういうことになりかねないのではないのか?そうなってくるとそこはITの独壇場になってくる。どんなものが必要か?電子掲示板、wikiなどが連結したシステムが必要だろう。こう言ったツールを作る事によって共通言語の開発を心がけるようにしなければならなくなってくるだろう。一度こういうものが出来てしまえば後はネットワークを通じて離れた事業所の間とでも共同作業が出来るだろう。海を越えて外国の事業所でもできるようになるだろう。そういったシステムに育て上げる事を目指したい。

そんなツールできるのか?“のーびす”は一つの例としてWikipediaを挙げたい。Wiki、BBS、そのほかが複雑に交じり合って一つのものを作り上げていく。いい参考例になっていると思う。残念ながら日本語版はいろいろな理由からうまく機能していないように思われる。これはシステムの導入だけが行われてルール、マナー、うまくいえないがそういった運用面のノウハウが導入されていないせいではないかと思う。

Wikipedia側はボランティアが足りない事を理由にされるかもしれない。だが、今の状態を見るとユーザーも一般協力者もボランティアとも自分のことを好き勝手にやっているだけのばらばらの組織が見えてくる。各レベルに何が求められているのかがはっきりしない。ボランティアは忙殺されている、一般協力者は好き勝手に書き込んでいる、ユーザーは内容の信頼性に疑問を持ってあまりあてにしていない。これでは何れ立ち消えていくだろう。これはWikipediaにかかわるすべての人、これはちょろっと見るだけの人も含まれる、の教育の程度の低さによっているのではないかと思っている。これが“のーびす”の言う運用面のノウハウが導入されていないとする部分だ。

たががインターネット上の一プロジェクトと侮る事無かれ。みんなが集まって何か一つのものを作り上げるというのは民主主義の根本である。これがまともに出来ないのはその言語版に携わる人の民意の低さ、民主主義の根付き方の浅さが見事に反映しているのではないか?しかもこれはインターネットですべての国から監視されている。日本という国は試されているのである。

こんなことを言うと「日本語版など作るから悪いのだ」という人間がいるかもしれない。これはすなわち「民主主義など導入するから悪い」と言っているに等しい。

皮肉な事にWikipedia、に限らず日本のIT、は一部の人間の荒らしによってうまく機能しなくなっている。これはあたかも日本の民主主義において民意が一部の団体の、なんだろう?それこそ荒らし、によってまともに形成されていない事の縮図になっている。

Wikipediaのような民意の集合体は国力でなされるものではない。民主主義でなされるものだ。民主主義が動いていない国であのようなものがうまく動くのだろうか?

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